ブログ

2015.04.20 / 建築と住まいの話

信州の町並み1 稲荷山

今年の2月に「長野新幹線」というテーマでブログを書きましたが、ダイヤ改正前の3月上旬に長野へ行って以来、まだ北陸新幹線には乗れていません。
NHK朝の連続テレビ小説「まれ」も石川県の輪島が舞台ですし、今年は北陸まで足を伸ばしたいものです。

現在、長野で進めているアースデザインオフィスのプロジェクトが2つあります。
一つは2階建ての木造住宅で、平屋の部分が大きいため、瓦屋根の印象が強く残るお住まいです。もう一つは、お寺の庫裡(くり:住職や家族の住まい)の計画です。住職のお住まいだけなら一般の住宅と大きな違いはありません。しかし今回は、法要をするための大広間、檀家が会合するための座敷、檀家の奥様方が料理の準備をする台所など、お寺としての機能も備えた大きな庫裡のお話でした。

earth_n2.jpg

実際に建築を行うのはもう少し先になるようですが、今回は、どのような建物が建つかを知るため、そして予算を把握するために基本計画を行いました。この絵のように、120坪にも及ぶ大きな庫裡が建つ予定です。

さて、長野県との縁が深い私ですので、今回から信州の町並みを少しずつ紹介していきたいと思います。

それでは、初めに日本史を少し復習しましょう。
江戸時代、全国の主要街道は江戸へと放射状に向かうことになりますが、その幹線ルートを「天下の五街道」と呼びました。一つは東海道(日本橋~京都:53宿)、次は中山道(日本橋~京都:69宿)、三つ目は日光街道(日本橋~日光:21宿)、日光街道から分岐する奥州街道(宇都宮~白川:10宿)、最後は中山道に合流する甲州街道(日本橋~下諏訪:45宿)です。
中山道は長野県を横断しているため、69宿のうち25宿の宿場町が長野県にあります(これに次ぐのが岐阜県の17宿)。五街道以外にも各地に街道は広がっていて、長野県内でも、中山道の追分宿(軽井沢の西側)から新潟の出雲崎へ通じる北国街道や、洗馬宿(塩尻の西側)から善光寺へ向かう北国西街道などがあります。
日本の大動脈である東海道沿いの町が、開発によってほとんど残っていないのとは対照的に、中山道や北国街道沿いの町は比較的よく昔の面影を留めています。実際に重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)109ヶ所の中で宿場町は8ヶ所しかないのですが、そのうち3ヶ所(奈良井宿・妻籠宿・海野宿)が長野県にあるのです。

卒業旅行での町並み歩き以降、出張ついでに古い町並みを訪ねて来たので、全てを網羅している訳ではありませんが、写真が残っている所を紹介していきます。

最初に紹介するのは「稲荷山(いなりやま)」です。

inari1.jpg

この町から紹介する理由は、ここが最も若い重伝建地区だからです。昨年の暮れ(2014年12月)、商家町として109番目の重伝建地区に選定されたホットスポットなのです(笑)
以前、この近くで住宅の設計をしたことがあり、私がこの町並みを歩いたのは約2年前のことでした。地名を聞くだけでも、風情があっていい名前ですよね。

1582年に城が築かれたことに端を発する稲荷山は、2つの顔をもつ町です。
1598年に早くも廃城となると、江戸時代には北国西街道(通称、善光寺街道)の宿場町として形成され、街道随一の宿場町として栄えました。しかし明治時代になって国鉄信越線(現:しなの鉄道)が開通すると、急速に宿場としての価値を失います。
一方、商業地としての稲荷山は、長野盆地の南にあって、かつ善光寺街道沿いに位置し、近郷の農村地帯を背景にするという地の利のため、物産の集散地として発展しました。江戸末期から明治時代にかけて養蚕業が盛んになると、繭や生糸、絹織物などを扱う問屋町へと変貌し、北信地方随一の商都になるのです。

inari2.jpg
inari3.jpg

旧街道と並行する裏通りには、道の片側に細い水路が流れ、土蔵が建ち並んでいる場所があります。問屋町の荷を運んだというこの裏路地は、表通りにはない味わいがあり、「旧街道蔵のまち(千曲市)」に相応しい景観を見せていました。

inari4.jpg
inari5.jpg

表通りは切妻平入りの商家が並ぶ旧街道の町並みで、途中に鉤(かぎ)型に曲がる部分があります。これは「枡形(ますがた)」と呼ばれるもので、見通しを妨げる防衛上の配慮です。現在はこの「枡形」を境に、北側が住宅地、南側が商業地に色分けされています。

inari6.jpg
inari7.jpg

北側は家が無くなって歯抜けのような場所や、町並みに合わない新築の家も見られますが、古い家もしっかり残っています。中でも土蔵造りの山丹呉服店は、黒漆喰で塗り込められた外壁が異彩を放っていました。その先には、旧松林家を修復・再生した「稲荷山宿・蔵し館」があり、内部を見ることができます。松林家は、生糸輸出の先駆者となった「カネヤマ松源製糸」の屋敷なので、主屋も土蔵も非常に立派な建物でした。

inari8.jpg
inari9.jpg

南側に目を移すと、旧街道の面影はあるものの、日常的に自動車がよく走る道なので信号や電柱が林立しています。また、景観無視の新築こそ見られないのですが、古い建物でも全面が看板等で覆われている所が多く、残念ながら重伝建地区としては物足りない印象を受けました。

しかし、卒業旅行で訪れた「熊川宿(福井県若狭町の宿場町)」が10年後には見違えるような姿に整備されたように、稲荷山も保存地区になったことで、これからの修景が大いに期待されます。

岸 未希亜

Category
お知らせ
建築と住まいの話
よもやま話
ロコハウス
書籍・メディア掲載
Archeives