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2016年06月30日

解体工事

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解体工事が始まりました。長い間お世話になった家に感謝しながら、工事を進めていきます。解体時のゴミは、分別できるものは分けて撤去します。

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2016年06月29日

木工事

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2階寝室に、造り付けのデスクカウンターを設けました。デスクの天板は、旧家の材を再利用しています。

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2016年06月29日

断熱工事

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断熱材の室内側には、ダイヤカットという空気の通り道になる溝があり、窓があっても両脇を通って空気が流れます。夏場は壁内の温められた空気がこの溝を通って上昇し、エアオープナー(換気口)から排熱します。冬場はエアオープナーを閉じて保温効果を高めます。
また空気が停滞せずに循環し、壁内部が換気されるので、結露やカビを防ぎます。そのため、土台・柱などの構造部材が長持ちするのも大きなメリットです。

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2016年06月27日

立ち上がり型枠工事

立ち上がり部分の型枠を組み、断熱材を枠内にセットします。
基礎立ち上がりの内側で断熱を行う基礎断熱を採用しています。
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2016年06月27日

モルタル下塗り

モルタルは、下塗り上塗り2回に分けて塗っていきます。
塗り厚は、合わせて15mmです。
従来のモルタルに比べて軽量なので、建物への負担も軽減され、耐震上も有利になります。
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2016年06月27日

外壁

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モルタルを養生した後、仕上げ材のレーヴLMを塗っていきます。この仕上げ材は、漆喰をベースにした無機質な素材ですので、樹脂製の素材より汚れが付き難いのが特徴です。

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2016年06月25日

底版コンクリート打設

配筋検査も終わり、底版のコンクリート打設を行いました。
バイブレーターを使い、しっかりと充填していきます。
最後にコンクリートの表面をトンボでならし、浮き出た水分を除去することでひび割れ防止になります。
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2016年06月25日

大人の修学旅行2

職人さんとの「大人の修学旅行」をレポートする第二弾です。
初日、郡上八幡から名古屋に向かい、市内の宿に入る前に少し時間が取れたので、熱田神宮に行きました。境内は広く、参道も広いのですが、鬱蒼とした木々によって薄暗くひんやりとした空気が流れ、荘厳な雰囲気を感じました。

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熱田神宮は、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀る神社で、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えました。織田信長が桶狭間の戦いの前に戦勝祈願したことでも知られています。

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創建は西暦に換算すると113年と古いのですが、戦災によってほとんどの施設が焼失してしまったため、昭和30年に再建されています。本宮は伊勢神宮と同じ神明造りで、屋根は銅板葺きです。2013(平成25)年に創祀1900年の慶節を迎え、大屋根の葺き替えが行われたり、授与所・神楽殿が新しく造営されました。建物は戦後のものなので、文化財等には指定されていません。

翌日は、愛知県北部にある犬山城へ向かいました。犬山城の天守は現存12天守の一つで、姫路城、松本城、彦根城、松江城と並んで国宝に指定されています。

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犬山城は、木曽川に面した高さ40mの丘に建つ平山城(ひらやまじろ)で、「白帝城」という別称があります。木曽川を背にした一番奥の断崖上に天守・本丸を築き、南側に雛段状に縄張り(階郭式縄張り)を形成しているのですが、これを兵法では「後堅固(うしろけんご)の城」と呼んで、平山城の理想とされています。この日は小雨が降っていましたが、最上階の望楼から眺める木曽川と対岸の景色は迫力十分でした。

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犬山城は明治24年の濃尾大震災で天守以外が倒壊、天守も大破してしまったのですが、修復を行うことを条件に、明治政府が旧城主の成瀬家に城を譲渡したため、比較的最近の2004年まで、全国でも他に例のない個人所有の城でした。現在は財団法人犬山城白帝文庫が運営管理を行っていますが、成瀬家の努力によって修復された犬山城は、正に「お殿様」の城だった訳です。

犬山城のすぐ隣、名鉄犬山ホテルの敷地内に「有楽苑(うらくえん)」という日本庭園があります。苑内にある国宝茶室「如庵(じょあん)」と、旧正伝院書院(重要文化財)をプロデュースした織田有楽斎(おだうらくさい:信長の実弟)の名にちなんだ庭園です。

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有楽苑を一番楽しみにしていたのが、庭師の藤木さんです。時に解説をしてくれながらも、基本的には自分のペースでじっくりと見学していました。写真は、撮ることにばかり気を取られてしまうので、その場の雰囲気を感じることを大切にしているとの話。建築でも同じことが言えるので、写真をいっぱい撮りながら、少し反省しました(笑)

如庵は、京都建仁寺の塔頭・正伝院に設けられた茶室でしたが、明治期に正伝院が取り壊されると、如庵と書院が東京の三井家に引き取られ、さらに戦火を逃れて大磯別邸に移され、昭和45年に名古屋鉄道の所有になって当地に移築されました。非常に数奇な運命の建物です。

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如庵は、京都の山崎にある妙喜庵「待庵(たいあん)」、京都の大徳寺龍光院「密庵(みったん)」と並んで国宝3名席の一つに数えられます。見学は予約制で、月に一度の公開日にしか見られませんが、外から室内を覗くことが許される珍しい茶室なので、それ以外の日でも十分に訪れる価値はあります。

最後にやって来たのは、静岡市にある久能山東照宮です。自分はその存在すら知らなかったのですが、徳川家康の遺骸が最初に埋葬されたのは日光東照宮ではなく、ここ久能山とのこと。皆さんは知っていましたか?

静岡ICで東名高速を下り、海岸線に沿って車を走らせると、静岡平野の一角に標高216mの小高い山が見えてきます。遠くからでも山上に建物があるのが分かりますが、車で山上に行くことはできません。反対側の日本平からロープウェイで行くことはできるものの、正式には表参道から石段を登ります。

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石段の数は何と1159段。上が見えないほどの急峻で、階段がどこまで続くのか全く分からないまま、ひたすら登ります。写真を撮っては歩き、また撮っては歩き、絵になる景色の連続が嬉しくて自分は全く苦になりませんでしたが、家族と来ていたら大ブーイングでしたね(笑)

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そんな私も、石段を909段登った所にある「一ノ門」にたどり着いた時、思わずここがゴールかと錯覚しました。振り返ると、駿河湾や伊豆半島を望む絶景が広がっていて、ひと休みです。

さらに石段を登ったその先に東照宮があるのですが、現在でも車では登れない山上に、江戸時代、どうやってこれらの建築群を造ったのでしょうか?

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僅か6年前の2010年、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定されたということで、改めてその歴史的・建築的価値が認められたようです。社殿の奥は家康の遺骸が埋葬された場所で、神廟(しんびょう)と呼ばれます。当社は小さな祠(ほこら)だったそうですが、三代将軍家光により、現在の石塔が建てられました。
ここを訪れると、己を東照大権現として神格化させた家康に畏敬の念を抱きつつ、山上での建築工事に従事した当時の職人の苦労に、思いを馳せることができます。

2日間にわたる大人の修学旅行はこれで終了。次はもっと近場で済ませるそうです(笑)

岸 未希亜

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2016年06月25日

太陽熱温水器

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屋根に太陽熱温水器の集熱器を取り付けました。基本的には太陽エネルギーで沸かしたお湯を使い、天気の悪い日は補助熱源機のエコジョーズでサポートします。

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2016年06月24日

配筋検査

鉄筋の配筋が終わった段階で、配筋検査を行います。
鉄筋径、かぶり厚、定着、対角長さなど設計図書との整合性を確認します。
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2016年06月24日

外壁工事スタート

外壁のは、下地をモルタルで塗り、その上に漆喰等の無機素材でできた塗り壁材を施工します。
まず、防水シート付きのラス網を張っていきます。
ここでポイントは、ラス網の下には通気層があるということ、仮に雨が入ったしても建物内に入らない2重構造になっています。
従来のモルタル下地と大きくことなるポイントです。
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2016年06月24日

上棟

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各現場の棟梁達が集結して、柱、梁、桁まで一気に組み上げていきます。まずは1階の柱をたて、2階の梁を差し込みます。
次は2階の床組です。91cm角に格子を組み、厚床下地を張り、2階の床を固めます。剛床と言って、構造的にとても重要なポイントです。

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続いて2階の柱、梁と組んで行き、棟木をあげます。

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登り梁の上に杉ムクパネルを張り、垂木を掛け、断熱材を敷き詰めます。断熱材の上に通気層を確保し、最後に野地板を張って上棟が無事終了です。

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2016年06月21日

石膏ボード張り

内部では、壁の石膏ボードを施工しています。
漆喰塗りの下地となるので、左官屋がパテでジョイント部分を平滑にしますが、元になる石膏ボードの精度も重要です。
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2016年06月18日

漆喰工事

クロスと並行して、漆喰の塗り壁工事に入りました。
漆喰もまずは平滑な下地を作るため、パテ処理から始まります。
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2016年06月18日

階段

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階段が取り付けられました。階段は既製品ではなく、大工が杉材を加工して造っています。上り口の親柱には、旧家の床柱を再利用しました。

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2016年06月17日

捨コン打設

根切が終わり、砕石転圧、防湿シート敷きを行い、その上から捨コンを打設します。
捨コンの役割は、防湿シートの保護や、基準となる平らな面ができることで、型枠の精度も良くなります。
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2016年06月17日

上棟

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いよいよ上棟です。下階から順番に柱、梁を組み上げて最後に棟木を取り付けます。2階の床梁は91cm角の格子状に組み、杉の厚板パネルを張って床を固めます。剛床と言って、ここは構造的にとても重要なポイントです。

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2階の柱を建てると、次は小屋を組んでいきます。今回は道路傾斜がきついため、クレーンを使わず、大工の手起こしでした。

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垂木の上に野地板を張って断熱材を敷き詰めます。断熱材の上に通気層を確保し、再び野地板を張ります。こうして無事に上棟しました。

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2016年06月15日

大人の修学旅行1

先月、神奈川エコハウスの家を造る職人さん十数名と団体旅行をしました。大工さんを中心に色々な職種の方が参加しての、大人の修学旅行です。

行き先の候補は幾つかあったそうですが、愛知県北部にある「犬山城と有楽苑(うらくえん)」に行くことが決まったところで自分にも誘いが掛かり、私も希望を出してみました。初めに「犬山城に行くのなら、併せて白川郷はどうですか?」と言いましたが、遠過ぎるということで却下になり、次に「郡上八幡(ぐじょうはちまん)は?」と伝えると、これが採用になりました。
私は一度行ったことがあるものの、手元に写真が残っていないので再訪の機会を伺っていた訳ですが(笑)、初めて地名を聞く人にとっては、「それってどこ?」という感じだったと思います。

通称「郡上八幡」と呼ばれる郡上市八幡町は、JR高山本線の美濃太田駅から長良川鉄道に乗って北上する、長良川上流の静かな城下町です。

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岐阜県内を北上して富山に向かう際は、日本三名泉の「下呂」、天領として栄えた「高山」を通るJR高山本線と国道41号線(飛騨川沿い)が主要ルートでしたが、2008年に東海北陸自動車道(長良川沿い)が全線開通したことで、東海と北陸の物流、人の流れが大きく変わっているようです。
以前に私が訪れた時は高速道路開通前で、1両か2両で走っていた長良川鉄道に乗って山奥に来た感じでしたが、今は名古屋からも短時間で来れる距離感です。厚木から東名高速を利用した我々も、約4時間で到着しました。

郡上八幡は、重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)のある歴史の町ですが、水の町、踊りの町としても有名です。特に「郡上おどり」は、7月中旬から9月上旬までの33夜を踊り抜く、日本一長い盆踊り(国の重要民俗文化財)として知られています。中でもお盆の4日間は朝まで徹夜で踊り抜くため、日本全国から約20万人の観光客(踊り人)が訪れ、小さな町は文字通り、膨れ上がります。

周囲を山に囲まれた郡上八幡は、長良川最大の支流である吉田川が町を横断し、大きく北町と南町に分けられます。吉田川には山から多くの流れが注ぐため、町の中に張り巡らされた水路には、常に天然の湧水が流れており、各所で水にまつわる風景が見られます。

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南町の一角に「やなか水のこみち」というポケットパークがあります。

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ここは家と家の間の涼やかな路地空間で、ほっとした気持ちにさせられます。道に敷き詰められた玉石は長良川と吉田川の自然石で、八幡町の名にちなんで8万個もあるそうです。

吉田川に沿って東へ歩を進めると、「いがわこみち」という用水があり、鯉が泳いでいました。

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江戸時代の足軽屋敷の裏を流れる何でもない用水路で、夏になればスイカを冷やしたり、川沿いの洗濯場が近所のおばさんたちの社交場でした。町にはこうした場所が幾つもありますが、観光客が多くなった今日では、そうした光景もあまり見られなくなっています。

吉田川を渡った北町の端っこに、「宗祇水(そうぎすい)」と呼ばれる史跡があります。

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環境省が選んだ「日本名水百選」の第一号に指定されたことで、全国的にも有名になった湧水で、水の町を象徴する、郡上八幡のシンボルです。
下の写真は、吉田川に架かる新橋からの眺めですが、ここも有名なスポットです。郡上八幡に生まれた子供たちにとっては、ここから川に飛び込むことが度胸試しであり、通過儀礼とのこと。しかし橋の高さはマンション5階のベランダに匹敵する12mもあり、いくら何でも高過ぎます。郡上八幡に生まれなくて良かった、と胸を撫で下ろしました。

郡上八幡で重伝建地区に指定されている範囲は、城を含めた吉田川の北側だけですが、南側にも風情のある古い町並みが残っています。

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戦後には古い家が壊され、ビルや新しい家に変わってしまった所もありますが、山裾につくられた国道が町を避けているため、旧道沿いは比較的よく町並みが残っています。ここが重伝建地区であっても何ら不思議ではないくらいです。

北町には南北に走る三筋の通りがあります。西側の通りは、本町、鍛冶屋町、職人町と名を変える旧町人町で、中央の通りは殿町と呼ばれる武家町、東側の通りも柳町と呼ばれる武家町で、主に中級藩士や下級武士が住んでいました。
大正8年に北町一帯が焼失する大火事があり、復興に当たって武家屋敷跡が細分化されて町屋が建ち、現在の姿になりました。道幅の広い殿町には、大きな施設が建つなどして町並みは全く残っていませんが、柳町、職人町、鍛冶屋町は昔の面影をよく残しています。

gujohati9.jpg 柳町
gujohati10.jpg 職人町
gujohati11.jpg 鍛冶屋町

町屋は卯建(うだつ)と呼ばれる袖壁を出した切妻平入りで、元は板葺きでしたが、現在は鉄板葺きか桟瓦葺きです。通りに沿って水路があり、前述のように天然湧水が流れていて、現在でも生活用水として利用されています。

町を見下ろす山の頂には、郡上八幡城がそびえます。下から見上げるその姿には頼もしさすら感じる、郡上八幡もう一つのシンボルです。

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昭和8年に再建された天守閣は、大垣城を参考にした模擬天守です。しかし木造で再建されているため、80年以上経た今では、本物のような雰囲気を漂わせており、司馬遼太郎が「日本で一番美しい山城」と評したことにも納得です。

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郡上八幡は、司馬作品の「功名が辻」に登場する山内一豊の妻・千代の故郷(諸説あり)と言われていて、場内には銅像が建っていました。また、八幡の藩主は何度か入れ替わりましたが、明治維新まで安定した治世を行った最後の藩主が青山氏で、その江戸屋敷跡が現在の港区青山です。皆さんも、郡上八幡に少し親近感を持たれたのではないでしょうか(笑)

郡上八幡だけで長くなってしまったので、続きはまた改めてお伝えします。

岸 未希亜

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2016年06月15日

土台敷き

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上棟前に土台を敷きます。上部構造すべてに影響してしまうので、レベルを確認し、ミリ単位で高さ調整を行います。土台には、耐久性のある神奈川県産ヒノキを使用しています。

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2016年06月15日

基礎完成

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建物を支える大事な基礎工事が完了しました。地中梁で強度を保ち、上部の基礎を独立型形状にすることで通気性とメンテナンス性が格段にアップします。

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