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2016.06.15 / 建築と住まいの話

大人の修学旅行1

先月、神奈川エコハウスの家を造る職人さん十数名と団体旅行をしました。大工さんを中心に色々な職種の方が参加しての、大人の修学旅行です。

行き先の候補は幾つかあったそうですが、愛知県北部にある「犬山城と有楽苑(うらくえん)」に行くことが決まったところで自分にも誘いが掛かり、私も希望を出してみました。初めに「犬山城に行くのなら、併せて白川郷はどうですか?」と言いましたが、遠過ぎるということで却下になり、次に「郡上八幡(ぐじょうはちまん)は?」と伝えると、これが採用になりました。
私は一度行ったことがあるものの、手元に写真が残っていないので再訪の機会を伺っていた訳ですが(笑)、初めて地名を聞く人にとっては、「それってどこ?」という感じだったと思います。

通称「郡上八幡」と呼ばれる郡上市八幡町は、JR高山本線の美濃太田駅から長良川鉄道に乗って北上する、長良川上流の静かな城下町です。

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岐阜県内を北上して富山に向かう際は、日本三名泉の「下呂」、天領として栄えた「高山」を通るJR高山本線と国道41号線(飛騨川沿い)が主要ルートでしたが、2008年に東海北陸自動車道(長良川沿い)が全線開通したことで、東海と北陸の物流、人の流れが大きく変わっているようです。
以前に私が訪れた時は高速道路開通前で、1両か2両で走っていた長良川鉄道に乗って山奥に来た感じでしたが、今は名古屋からも短時間で来れる距離感です。厚木から東名高速を利用した我々も、約4時間で到着しました。

郡上八幡は、重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)のある歴史の町ですが、水の町、踊りの町としても有名です。特に「郡上おどり」は、7月中旬から9月上旬までの33夜を踊り抜く、日本一長い盆踊り(国の重要民俗文化財)として知られています。中でもお盆の4日間は朝まで徹夜で踊り抜くため、日本全国から約20万人の観光客(踊り人)が訪れ、小さな町は文字通り、膨れ上がります。

周囲を山に囲まれた郡上八幡は、長良川最大の支流である吉田川が町を横断し、大きく北町と南町に分けられます。吉田川には山から多くの流れが注ぐため、町の中に張り巡らされた水路には、常に天然の湧水が流れており、各所で水にまつわる風景が見られます。

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南町の一角に「やなか水のこみち」というポケットパークがあります。

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ここは家と家の間の涼やかな路地空間で、ほっとした気持ちにさせられます。道に敷き詰められた玉石は長良川と吉田川の自然石で、八幡町の名にちなんで8万個もあるそうです。

吉田川に沿って東へ歩を進めると、「いがわこみち」という用水があり、鯉が泳いでいました。

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江戸時代の足軽屋敷の裏を流れる何でもない用水路で、夏になればスイカを冷やしたり、川沿いの洗濯場が近所のおばさんたちの社交場でした。町にはこうした場所が幾つもありますが、観光客が多くなった今日では、そうした光景もあまり見られなくなっています。

吉田川を渡った北町の端っこに、「宗祇水(そうぎすい)」と呼ばれる史跡があります。

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環境省が選んだ「日本名水百選」の第一号に指定されたことで、全国的にも有名になった湧水で、水の町を象徴する、郡上八幡のシンボルです。
下の写真は、吉田川に架かる新橋からの眺めですが、ここも有名なスポットです。郡上八幡に生まれた子供たちにとっては、ここから川に飛び込むことが度胸試しであり、通過儀礼とのこと。しかし橋の高さはマンション5階のベランダに匹敵する12mもあり、いくら何でも高過ぎます。郡上八幡に生まれなくて良かった、と胸を撫で下ろしました。

郡上八幡で重伝建地区に指定されている範囲は、城を含めた吉田川の北側だけですが、南側にも風情のある古い町並みが残っています。

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戦後には古い家が壊され、ビルや新しい家に変わってしまった所もありますが、山裾につくられた国道が町を避けているため、旧道沿いは比較的よく町並みが残っています。ここが重伝建地区であっても何ら不思議ではないくらいです。

北町には南北に走る三筋の通りがあります。西側の通りは、本町、鍛冶屋町、職人町と名を変える旧町人町で、中央の通りは殿町と呼ばれる武家町、東側の通りも柳町と呼ばれる武家町で、主に中級藩士や下級武士が住んでいました。
大正8年に北町一帯が焼失する大火事があり、復興に当たって武家屋敷跡が細分化されて町屋が建ち、現在の姿になりました。道幅の広い殿町には、大きな施設が建つなどして町並みは全く残っていませんが、柳町、職人町、鍛冶屋町は昔の面影をよく残しています。

gujohati9.jpg 柳町
gujohati10.jpg 職人町
gujohati11.jpg 鍛冶屋町

町屋は卯建(うだつ)と呼ばれる袖壁を出した切妻平入りで、元は板葺きでしたが、現在は鉄板葺きか桟瓦葺きです。通りに沿って水路があり、前述のように天然湧水が流れていて、現在でも生活用水として利用されています。

町を見下ろす山の頂には、郡上八幡城がそびえます。下から見上げるその姿には頼もしさすら感じる、郡上八幡もう一つのシンボルです。

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昭和8年に再建された天守閣は、大垣城を参考にした模擬天守です。しかし木造で再建されているため、80年以上経た今では、本物のような雰囲気を漂わせており、司馬遼太郎が「日本で一番美しい山城」と評したことにも納得です。

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郡上八幡は、司馬作品の「功名が辻」に登場する山内一豊の妻・千代の故郷(諸説あり)と言われていて、場内には銅像が建っていました。また、八幡の藩主は何度か入れ替わりましたが、明治維新まで安定した治世を行った最後の藩主が青山氏で、その江戸屋敷跡が現在の港区青山です。皆さんも、郡上八幡に少し親近感を持たれたのではないでしょうか(笑)

郡上八幡だけで長くなってしまったので、続きはまた改めてお伝えします。

岸 未希亜

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