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2016.06.25 / 建築と住まいの話

大人の修学旅行2

職人さんとの「大人の修学旅行」をレポートする第二弾です。
初日、郡上八幡から名古屋に向かい、市内の宿に入る前に少し時間が取れたので、熱田神宮に行きました。境内は広く、参道も広いのですが、鬱蒼とした木々によって薄暗くひんやりとした空気が流れ、荘厳な雰囲気を感じました。

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熱田神宮は、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀る神社で、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えました。織田信長が桶狭間の戦いの前に戦勝祈願したことでも知られています。

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創建は西暦に換算すると113年と古いのですが、戦災によってほとんどの施設が焼失してしまったため、昭和30年に再建されています。本宮は伊勢神宮と同じ神明造りで、屋根は銅板葺きです。2013(平成25)年に創祀1900年の慶節を迎え、大屋根の葺き替えが行われたり、授与所・神楽殿が新しく造営されました。建物は戦後のものなので、文化財等には指定されていません。

翌日は、愛知県北部にある犬山城へ向かいました。犬山城の天守は現存12天守の一つで、姫路城、松本城、彦根城、松江城と並んで国宝に指定されています。

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犬山城は、木曽川に面した高さ40mの丘に建つ平山城(ひらやまじろ)で、「白帝城」という別称があります。木曽川を背にした一番奥の断崖上に天守・本丸を築き、南側に雛段状に縄張り(階郭式縄張り)を形成しているのですが、これを兵法では「後堅固(うしろけんご)の城」と呼んで、平山城の理想とされています。この日は小雨が降っていましたが、最上階の望楼から眺める木曽川と対岸の景色は迫力十分でした。

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犬山城は明治24年の濃尾大震災で天守以外が倒壊、天守も大破してしまったのですが、修復を行うことを条件に、明治政府が旧城主の成瀬家に城を譲渡したため、比較的最近の2004年まで、全国でも他に例のない個人所有の城でした。現在は財団法人犬山城白帝文庫が運営管理を行っていますが、成瀬家の努力によって修復された犬山城は、正に「お殿様」の城だった訳です。

犬山城のすぐ隣、名鉄犬山ホテルの敷地内に「有楽苑(うらくえん)」という日本庭園があります。苑内にある国宝茶室「如庵(じょあん)」と、旧正伝院書院(重要文化財)をプロデュースした織田有楽斎(おだうらくさい:信長の実弟)の名にちなんだ庭園です。

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有楽苑を一番楽しみにしていたのが、庭師の藤木さんです。時に解説をしてくれながらも、基本的には自分のペースでじっくりと見学していました。写真は、撮ることにばかり気を取られてしまうので、その場の雰囲気を感じることを大切にしているとの話。建築でも同じことが言えるので、写真をいっぱい撮りながら、少し反省しました(笑)

如庵は、京都建仁寺の塔頭・正伝院に設けられた茶室でしたが、明治期に正伝院が取り壊されると、如庵と書院が東京の三井家に引き取られ、さらに戦火を逃れて大磯別邸に移され、昭和45年に名古屋鉄道の所有になって当地に移築されました。非常に数奇な運命の建物です。

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如庵は、京都の山崎にある妙喜庵「待庵(たいあん)」、京都の大徳寺龍光院「密庵(みったん)」と並んで国宝3名席の一つに数えられます。見学は予約制で、月に一度の公開日にしか見られませんが、外から室内を覗くことが許される珍しい茶室なので、それ以外の日でも十分に訪れる価値はあります。

最後にやって来たのは、静岡市にある久能山東照宮です。自分はその存在すら知らなかったのですが、徳川家康の遺骸が最初に埋葬されたのは日光東照宮ではなく、ここ久能山とのこと。皆さんは知っていましたか?

静岡ICで東名高速を下り、海岸線に沿って車を走らせると、静岡平野の一角に標高216mの小高い山が見えてきます。遠くからでも山上に建物があるのが分かりますが、車で山上に行くことはできません。反対側の日本平からロープウェイで行くことはできるものの、正式には表参道から石段を登ります。

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石段の数は何と1159段。上が見えないほどの急峻で、階段がどこまで続くのか全く分からないまま、ひたすら登ります。写真を撮っては歩き、また撮っては歩き、絵になる景色の連続が嬉しくて自分は全く苦になりませんでしたが、家族と来ていたら大ブーイングでしたね(笑)

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そんな私も、石段を909段登った所にある「一ノ門」にたどり着いた時、思わずここがゴールかと錯覚しました。振り返ると、駿河湾や伊豆半島を望む絶景が広がっていて、ひと休みです。

さらに石段を登ったその先に東照宮があるのですが、現在でも車では登れない山上に、江戸時代、どうやってこれらの建築群を造ったのでしょうか?

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僅か6年前の2010年、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定されたということで、改めてその歴史的・建築的価値が認められたようです。社殿の奥は家康の遺骸が埋葬された場所で、神廟(しんびょう)と呼ばれます。当社は小さな祠(ほこら)だったそうですが、三代将軍家光により、現在の石塔が建てられました。
ここを訪れると、己を東照大権現として神格化させた家康に畏敬の念を抱きつつ、山上での建築工事に従事した当時の職人の苦労に、思いを馳せることができます。

2日間にわたる大人の修学旅行はこれで終了。次はもっと近場で済ませるそうです(笑)

岸 未希亜

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