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2017.08.14 / よもやま話

九州の夏休み 長崎篇

お盆休み真っただ中ですが、皆様はどちらへお出掛けでしょうか?
私は、子供が夏休みに入ってすぐに休暇を取り、長崎・佐賀・福岡に行って来ました。キッカケは、祖父母の菩提寺がある福岡県大牟田市で、祖父の13回忌と祖母の3回忌を一緒にやろうという、伯父からの呼び掛けでした。私が知っている祖父母の家は福岡市内にあり、夏休みや春休みに何度か遊びに行きましたが、祖父母の故郷であり、私の母も戦後の一時期を過ごしたという大牟田に行くのは初めてのことです。
長女は中学生で部活があり、妻も仕事を休まなければならないので、初めは私一人だけで出席しようかとも思いました。そうすれば、周辺の古い町並みを好きなだけ見て回れる・・・という打算が働いたのは事実です(笑) しかし貴重な夏休みを、一人で3日も4日も取ることは許されないので、家族での参加に向けて舵を切りました。

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中学生の時に「机上旅行クラブ」に入って以来、旅行の計画を立てるのが好きな私ですが、日常に忙殺されて今回はほぼ無計画でした。大まかな行き先と行程を考えて宿泊地を決めたら、宿の予約は妻に任せ、前日夜に荷づくりして慌ただしく出発です。羽田空港の保安検査場では、娘の荷物からハサミが発見され、慌ててチェックインカウンターに戻って預け直しをするハプニング。自分も昔、筆箱に入れっ放しだったカッターで痛い目に会ったことがあり、思わず苦笑い。娘は「刃物は持ち込めない」ことを勉強しました。

早朝のフライトだったので、午前9時半には長崎空港に到着し、レンタカーで市内へ向かいました。高校入学前の春休み以来、長崎に来るのは30年ぶりのことです。最初に訪れたのは坂本龍馬ゆかりのエリアで、まずは坂本龍馬の銅像がある風頭公園へ。

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銅像設置の当初予定地は、古くからの料亭などが残る丸山町の丸山公園だったそうですが、遊郭のあったイメージを思い出させるとの反対があり、長崎港を見下ろす高台に移ったそうです。高知県桂浜の銅像は台座が高くて、頭上高くに龍馬がいましたが、長崎の龍馬は記念写真が撮りやすい高さでした。向かい側には司馬遼太郎「竜馬がゆく」の文学碑もあります。
ここから「龍馬通り」と呼ばれる坂や石段を下りていくと、亀山社中記念館があります。

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亀山社中(かめやましゃちゅう)は、薩摩藩を後ろ盾に坂本龍馬がつくった貿易会社と海軍を兼ねた組織です。薩摩藩や商人から資金を得て、交易の仲介や海上輸送で軍資金を稼ぐとともに、薩摩藩と長州藩の橋渡し役を担いました。やがて幕府の衰退に焦った土佐藩が土佐を脱藩した龍馬に接近し、スポンサーを求めていた龍馬も土佐藩の援助を受け入れ、名称も「海援隊」に改称します。「海援隊」は武田鉄矢のフォークグループ名でもあるので、有名ですね。
8年前から公開されている記念館は、亀山社中の遺構として伝わる建物を長崎市が復元改築したものです。近所には「亀山社中ば活かす会」が運営している亀山社中資料展示場もあるので、龍馬ファンはどちらも見逃せません。私たちは記念館だけを見て帰りましたが・・・

次に訪れたのは出島和蘭商館跡、通称「出島」です。30年前にも来たことがありますが、「ミニ出島」と呼ばれる1/15の模型だけしか記憶にありません(笑) 当時はそれぐらい何も無かったのだと思いますが、現在は昔の建物が多数復元されていて、江戸時代の雰囲気を味わうことができます。

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また、現在の市街地の中に「出島」の形が残っているのが分かるので、外から見るのもお勧めです。今年中には出島と本土をつなぐ表門橋も完成予定で、よりリアルに往時の出島を感じられそうです。

昼は長崎新地中華街に行き、名物のちゃんぽんや皿うどんを食べました。横浜、神戸と並ぶ三大中華街の一つで歴史は最も古いそうですが、横浜に比べると小さな中華街です。娘が「働いている人は日本人だね」と言ったのが可笑しかったです。

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午後はグラバー園に行きました。

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妻も私も来たことがあり、あまり新鮮味は無かったのですが、園内でハート型の敷石を見つけることが流行っていて、二人の娘は熱心に探していました。「ハートの石」は、「二つ見つけるといいことがある」「触れると恋が叶う」等の伝説があり、女子には人気があるようです。

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15時半頃にグラバー園を出てホテルにチェックインしたのですが、このホテルが東山手の重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)のすぐ近くにあることが分かり、ガッツポーズ。偶然とはいえ、妻に感謝です。これを以心伝心というのでしょうか(笑)
ポロシャツも下着も汗でびっしょりだったので、シャワーを浴びて着替えると、妻子を残して一人で散策に出掛けました。

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30年前もオランダ坂に来た記憶はありますが、当時(1986年)は重伝建地区になる前(1991年選定)でしたし、町並みの知識も無かったので、これで堂々と「長崎の町並みを歩いた」と言えます。

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東山手の町並みを抜けると、グラバースカイロードという斜行エレベーターがあり、谷の部分から山の上のグラバー園の近くまで一気に上がれます。グラバー園を含む南山手地区も重伝建地区になっているので、先ほど来たグラバー園には目もくれず、古い家や路地を見つけては嬉々として歩きました。

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グラバー園の横にある大浦天主堂は、現存する日本最古の木造教会で国宝にも指定されています。しかし拝観時間が終わるところだったため、外から見ただけでホテルに戻りました。

翌日はまず、日本二十六聖人殉教地・記念館を訪れました。日本二十六聖人とは、豊臣秀吉の命によって長崎で処刑された26人のカトリック信者のことです。京都で宣教活動をしていた司祭や修道士と日本人カトリック信者が捕えられ、京都から長崎まで連行された後、この地で十字架に架けられました。この痛ましい出来事は、日本よりもヨーロッパにおいてよく知られ、殉教した26人はローマ教皇によって1862年に聖人の列に加えられます。そして1962年、列聖100年を記念して日本二十六聖人記念館と記念碑「昇天のいのり」が建てられました。

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記念碑にはめ込まれている、二十六聖人が横に並ぶブロンズ像は圧巻です。記念館に展示されている絵や手紙などの資料からも感じますが、殉教の壮絶さは想像を絶するものだと思いました。

記念館と記念聖堂(聖フィリッポ教会)の設計は、建築家の今井兼次です。記念館は鉄筋コンクリート造のモダニズム建築ですが、外壁に陶片やタイルが埋め込まれたモザイク画が目を引きます。内部も教会建築のような荘厳な雰囲気があって見事な建物でした。

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一方の記念聖堂は、ゴツゴツした2本の塔がにょきっと立つ、モダニズムとは対極をなす建築です。アントニオ・ガウディの建築を彷彿とさせますが、今井はガウディを日本に紹介した草分けであること、26聖人のうち4人はスペイン人であることから、この少し不思議な建築が生まれたと思われます。

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今井兼次は寡作の建築家でしたが、早稲田大学の教授だったので、授業等で名前や作品を知る機会がありました。日本二十六聖人記念聖堂は一度見てみたいと思っていたので、来られて良かったです。

この日は、長崎市内から車で1時間半以上かかるハウステンボスへ行きました。ここも長崎県なのですが、後半の「佐賀篇」でレポートします(つづく)

岸 未希亜

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