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2013.02.09 / 建築と住まいの話

日本の町並み

倉敷とか川越という名前を聞いてピンと来られた方はいるでしょうか。どちらも古い町並みが残っている所で、俗に「小京都」と呼ばれたりもします。以前にブログで古い民家について紹介し、「熱くなった」ことがありましたが、日本の古い町並みに関してはそれ以上に熱く語ってしまう私です(笑)

伝建_熊川2.jpg  若狭町熊川宿(宿場町/福井県)
伝建_内子1.jpg  内子町八日市護国(製蝋町/愛媛県)

古い町並みは日本全国に点在していますが、残念ながら神奈川県には1つも残っていません。横浜の関内駅と横浜港の間には庁舎や銀行の建物が昔の面影を残しているものの、町並みとしては全く壊れてしまっています。東海道の宿場町であった保土ヶ谷、戸塚、藤沢なども昔の面影はありません。人口が増えてしまった都会であれば致し方ないことなのですが、少し寂しい気持ちになります。
それに比べると、仕事でよく行かせてもらっている岐阜県には多くの町並みが残っています。岐阜、美濃、郡上八幡、高山、古川、白川郷、大湫、岩村、明智、馬籠など、少なくとも10ヶ所は挙げられます。特に有名なのは、合掌造りの民家で有名な白川郷と、天領として栄えた「飛騨高山」こと高山でしょう。

伝建_美濃1.jpg  美濃市美濃町(商家町/岐阜県)

またこれらの中で特に保存状態のよい集落や町並みについて、市町村が保存計画等の制度を定めて国に申請を行い、文化庁で価値が高いと判断したものは「重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)」に選定されます。建物単体で指定されている国宝や重要文化財とは異なり、町並みという群体である点が大きな特徴ですが、国からの「指定」ではなく市町村からの推薦に対して「選定」するとう形も特徴です。
それは、この町並みが今も実際に人々が暮らしている住居の集まりであるため、住人の意志があって初めて「保存」への道が開けるからなのです。

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伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)の制度が発足したのは昭和50年(1975年)ですが、その前の昭和45年頃から日本各地で町並み保存運動が始まっていました。それは高度経済成長とともに「開発」が進み、古いものを捨てて新しいものを造り続けてきた結果、環境を大きく破壊していることに気付いたためでした。
しかし古い町並みが残る地域の多くは経済活動も落ち込み、過疎化が進んでしまって「保存」どころではない状況もありましたし、また「保存」となれば、住人は家を住みやすく改修することもできなくなるのではないか、と誤解されることもあったらしく、当初、保存地区の選定は伸び悩んでいました。制度発足の約20年後にあたる平成6年(1994年)においても、「重伝建地区」は26道府県40地区に過ぎず、この吉田桂二さんが描いた「重伝建地区」特集の絵本にも40の町並みしか紹介されていません。

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その中で第一期(昭和51年)に選定された町並みは北から順に、角館(秋田県)、妻籠(長野県)、白川村荻町(岐阜県)、東山の産寧坂(京都府)、祇園新橋(京都府)、萩・堀内地区(山口県)、萩・平安古地区(山口県)と7つあります。選挙で順位がつく訳ではありませんが「神セブン」と呼びたい存在です(笑)

伝建_妻籠1.jpg  南木曽町妻籠宿(宿場町/長野県)
伝建_祇園1.jpg  京都市祇園新橋(茶屋町/京都府)

それから選定数は徐々に増え始め、平成16年(2004年)には36道府県66地区になり、平成21年には38道府県83地区まで増えました。そしてここ3年でまた急増し、現在(平成24年末)の重伝建地区は41道府県102地区に上ります。残念ながら神奈川県も、重伝建地区のない6都県の中に入っています。

一方、重伝建地区に選定されていなくても、昔の風情を残す町並みは他にもいっぱいあるので、これまで私も選定されているか否かの区別なく多くの町並みを訪ねました。恐らく80ヶ所ぐらいは見ていると思います。
見始めた頃から20年ぐらいになるので、当時は無印だった町並みがいつの間にか重伝建地区になっていたりすると、感慨深いものがあります。

かつて撮った写真はネガフィルムですし、それがどこに仕舞ってあるかもよく分からないのですが、昔の思い出をひも解きながら、時々、日本の古い町並みを紹介していきたいと思います。

岸 未希亜

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