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2023.08.10 / 建築と住まいの話

信州の町並み6 戸隠

これまでに重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)やそれ以外の町並みを数多く紹介してきましたが、2015年に「信州の町並み」シリーズというのを始めたことがあります。

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なぜなら長野県には重伝建地区が7ヶ所もあり、これは石川県(8ヶ所)に次いで、京都府(7ヶ所)とともに全国2番目の多さなのです。2015年に重伝建地区の「千曲市稲荷山」と「東御市海野宿」を紹介し、2016年には真田氏の居城であった城下町「上田」と「松代」、そして商家町の「須坂」を紹介。少し空いて2018年には重伝建地区「白馬村青鬼」を短めに紹介しました。
それから5年も更新できていなかったのですが、残る4ヶ所の重伝建地区にも行ったことがあるので、「信州の町並み」シリーズを復活します(笑)

今回紹介するのは、2017年に重伝建地区に加わったばかりの「戸隠(とがくし)」です。

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戸隠は長野市の北西部に位置し、標高1,000mを超える山岳地帯にあります。長野盆地を流れる裾花川等の水源域でもあるこの地は、古くから水神や農業神として信仰を集めていて、平安中期には修験道の一大霊場として全国に知れ渡るようになりました。そして戸隠山の麓に、現在の戸隠神社の前身である「戸隠山顕光寺」が創建されます。戸隠山顕光寺は神仏習合寺院だったため、明治維新の神仏分離政策を受けて戸隠神社へと姿を変えることになります。

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中社の社殿

本社である奥社のほか、中社、宝光社(ほうこうしゃ)、火之御子社(ひのみこしゃ)、九頭竜社(くずりゅうしゃ)の五社を総称して戸隠神社と呼びます。保存地区は、中社と宝光社の境内及び宿坊群を中心とする門前町で、宿坊群としては全国で初めての重伝建地区選定になります。

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宝光社から見た大門通り

善光寺と戸隠神社を結ぶ「戸隠道」を車で上って行き、飯綱高原の手前を左へ折れて尚も進んで行くと、「大門通り」と呼ばれる直線の坂道が現われ、その正面に宝光社があります。

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宝光社の社殿

宝光社は、中社の御祭神・天八意思兼命(あめのやこころおもいかねのみこと)の御子である天表春命(あまのうわはるのみこと)を祀っていて、女性や子どもを守る神とされています。

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社殿を基点に南北に走る大門通りと、直行して東西に延びる「横大門通り」を中心に、南下がりの斜面地に道路や屋敷が広がっています。訪れたのが11月だったので、紅葉も鮮やかでした。

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横大門通りを東に進むと、道はカーブしながら山を上って行きます。そして再び直線の坂道が現われると、その正面が中社になります。中社も社殿を基点に「大門通り」と「横大門通り」が走り、同じように南下がりの斜面に宿坊群が広がっています。

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中社の前には広い駐車場があって観光バスも乗り入れられ、飲食店や土産物店も並んでいました。宝光社よりも観光客の数は多く、人里離れた修験道の雰囲気は薄れています。しかし中社の鳥居を潜った広場には、樹齢700年を超える杉の御神木や樹齢800年の三本杉がそびえ、荘厳な雰囲気が漂っていました。

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戸隠山顕光寺(戸隠神社)は戦国期の混乱で一時衰退しますが、徳川家康から朱印地1000石が与えられ、信濃を代表する天台宗寺院として隆盛しました。近世には、信濃や越後を中心として江戸、東北、近畿に至る各地に「戸隠講」が形成されます。戸隠講を中心とした参詣者の増加に伴って宿坊の大規模化が進み、その外側には集落の消費活動を支えた在家と呼ばれる農民・職人の家が造られて、門前町が形成されました。

さて、戸隠と言えば日本三大蕎麦の一つ「戸隠そば」が有名です。平安時代に山を訪れた修行僧が、簡単に栄養補給できる携帯食としてそば粉を水で溶いて食べていたことが由来とのこと。江戸時代に「そば切り」の技術が伝わったことで麺状に加工されるようになり、修験者へのおもてなし料理として振る舞われるようになったそうです。

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戸隠そばの特徴は、水をほとんど切らず、少量を束ねてざるに盛り付ける「ぼっち盛り」。薬味として辛味大根が添えられているのも特徴です。戸隠そばを送ってもらって家で食べたことはありますが、本場で食べるのは初めてで、大根おろしのぴりっとした辛味が食欲をそそりました。

岸 未希亜

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